東京地方裁判所 昭和33年(タ)193号 判決 1959年6月26日
原告 甲野花子(仮名)
被告 甲野三郎(仮名)
主文
原告と被告とを離婚する。
原告と被告間の未成年の養子美那子の親権者を原告と定める。
被告は原告に対し金二十万円を支払え。
原告のその余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用はこれを三分しその一を原告の負担、その余を被告の負担とする。
事 実<省略>
理由
一、真正に成立した公文書と推定する甲第一、二号証(いずれも戸籍謄本)及び原告及び被告本人の供述によると、原告が昭和三年四月一日吉井美佐男同サクとの間の長女として出生した事実、被告が大正五年五月一六日原沢徳三郎同キクノの長男として出生した事実、原被告が昭和二五年一二月二〇日事実上の結婚をなし昭和二六年一月六日婚姻届を了した事実、昭和三一年一〇月四日原被告が原告の実妹美那子と養子縁組を為してその旨届出られている事実をそれぞれ認めることができる。
証人吉井サクの証言、原告本人及び被告本人の各供述によると、原告は津田塾専門学校外国語科を卒業し、被告は大倉高等商業学校を卒業し、原被告とも連合軍総司令部通訳課に勤務しているうち知り合うようになり、前記認定のように正式に婚姻をなし、引続き双方同所に勤務していたが、その後被告は同所をやめアンドレウエアー商会投資課長として勤務し、昭和三一年頃からは株式会社八重州商会の社長をし、昭和三二年一二月二〇日からは日本橋茅場町に事務所を開設して翻訳の業務をなしていること、原告が昭和二六年七月から翌昭和二七年七月頃迄語学及び米文学研究のため渡米した事実をそれぞれ認めることができる。
二、証人長谷川直、同吉井サクの各証言並びに原告本人及び被告本人の各供述を綜合すると、原告が昭和二六年七月から約一年間留学している間、被告は訴外榎本多摩子と知り合い懇となつて、同女と情交関係を結び、原告が帰国した後も依然関係を続けていたが、昭和二八年六月頃原被告及び榎本多摩子と話し合つた結果、被告が榎本多摩子との不倫関係を清算することに同意しその後は同女との関係を断つていること、そしてこのような関係から原告は表面的には被告と仲直りしたもののその時以来、原告は夫である被告に対する信頼感を失つてしまつたことをそれぞれ認めることができる。その後被告はトリスバーの女給等と一緒に帰つてくることもあつて必ずしも身持ちが良くなつたとはいえないが、その後特に被告に不貞行為があつたと認めるに足りる証拠はない。
三、趣旨形式及び弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認める甲第三、四号証(いずれも診断書)並びに証人井戸垣忠男、同長谷川直、同吉井サク、同吉井美保子の各証言及び原告本人の供述を綜合すると左の事実を認めることができる。
結婚後一年位経た頃英語のアクセントのことで夫婦喧嘩となり被告は原告の眉間を激しく殴りつけたことがあつたけれども夫婦仲はそれ程円満を欠くこともなかつたが、昭和二八年九月原告の父吉井美佐男が死亡した後は夫婦喧嘩が激しくなり、昭和三二年八月頃被告が原告に対し川越の被告の母のところに行くよう命じたところ、原告は神経痛で行きたくないと答え、被告がテニスに行こうとしていた際でもあつたのでテニスに行く暇があるなら被告が行つたらどうですかといつたところ、被告は怒つてお膳をひつくりかえし原告を突き倒し頭を足蹴にかけ更に拳固で原告の顔に青痣が出来る程激しく殴打した。その後も夫婦喧嘩が絶えず被告は原告に対し足を引つぱり腕を捻じ上げ殴つたり蹴つたりの暴行を加えた。又その頃原告は神経痛再発のため夫婦関係にも気乗りがしなかつたので、これを拒絶すると暴力を加えて強要し、両足をもつて逆につるし上げ部屋の隅に投げ捨てたり、足で羽交締めにしたり、いやがるのに無理に下半身を裸にしたりなどして夫婦関係においても通常人のやらないことを強要したので原告の心は被告からますます乖離し、原告は夫婦関係にも興味がわかなくなつた。ところが被告の右のような強要は次第にその激しさをまして来たので原告は遂にこれを耐えることが出来なくなり悲鳴をあげたり、又母訴外吉井サクを呼ぶようなことがあつた。同年二月頃には原告とその母サクが被告に離婚話を持ちかけ、その際サクが被告に貸していた金の返済を促したことから、これを根にもつて、それから後は特にサクに強く当るようになつた。そしてサクが原被告の寝室から聞える悲鳴や原告の母を呼ぶ声を聞きつけて右寝室に立ち入り原告をかばうと、夫婦のあらわな姿を見られたことと、被告がサクに対して前記のように悪意を抱くようになつていたことから余計な干渉をするなと激怒し寝室から出てくれとサクを突き飛ばし、同人に対して拳固で殴打し、そのため昭和三三年三月一一日には眉間殴打により失神させ、同月二三日には全治一週間の顔面打撲傷を負わしめた。その後同居していたサクや原告の妹等も身の危険を感じ、安眠も出来ない状態になつた。そうしてその頃、原告方の親戚山口晴司が仲に立つて家庭を円満な状態に戻そうと努力したが被告はこれに応ぜず被告の乱暴が激しくて隣人や警察官が呼ばれたこともあつたが、これらの者の説得も聞き流しその態度を全然改めることもなく又同年一月からは生活費も全然入れなくなつた(調停申立後一万円を入れたのみ)。そこで原告は、被告が最早全く原告に対し愛情を失つたものと解し、且つ被告の暴行にもこれ以上耐えられないと考え、同年四月八日東京家庭裁判所に対し離婚並びに慰藉料請求の調停を申立てた。ところがその後も、被告は同年五月七日サクに対し全治一〇日を要する顔面打撲傷兼割創傷を負わしめ、同年六月一八日頃原告の顔面を殴打したので原告とサクは恐怖心から家を出て夜の街をあてどもなく徘徊しているうち職務質問を受け、警察官が被告を説論してその場は一時収つたが、原告・サク・原告の妹等は被告の暴行に耐え兼ね身の危険を避けるため同月二八日家出別居した。以上の事実を認めることが出来、被告本人の供述中右認定に反する部分は措信し難いし、その他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
証人三輪直央、同福島富之助の各証言及び原告本人及び被告本人の供述を綜合すると、原告は被告の暴行や生活に対する非協力的態度から夫である被告に対する愛情が冷却しつつあつたが昭和三二年春頃勤め先の同僚であつた訴外三輪直央と親しくなり同年一二月頃から昭和三三年夏頃迄の間情交関係を結んでいた。そして被告はこのことを感付き、そのため原告に対する前示認定の如き被告の所為もその度を加えるに至つたことが認められ、原告本人の供述中右認定に反する部分は措信しない。
四、前記認定事実に基いて更に考察することとする。前記認定の如く原告に不貞行為があつたことは明らかであり、被告に不貞行為乃至不法行為があると否とに拘らず、右原告の行為は到底許容し得ないものであつて、右原告の不貞行為が原被告の婚姻を破綻に導いた大きな原因の一つであることは否定できない。しかし、原被告の婚姻関係を詳細に吟味すると婚姻関係を破綻に導いた決定的要因は被告にある。すなわち被告の性格は粗暴で些細なことから激昂し易く、利己的非協力的で、相手に対する思いやりに欠け、他人と話し合う態度には出ず、自分の思い通りにならないと直ちに暴力的態度に出てこれを強要するという風であつた。他方原告は高い教養を身につけ又経済力もある女性として、被告に盲目的に従順であるというよりもむしろ、言いたいことははつきり言う性質であつたが、被告は全く一方的に自己の意思を通そうとし、そのためには敢て暴力も辞さない態度に出て、夫婦生活においても全く一方的で、互に話し合い協力し合つて家庭生活を運営するという態度が欠けていた。被告は妻たる原告や同居の家族に対する愛情が欠け、むしろ暴行等によつて強い恐怖心を与えていたのでその家庭生活は無味乾燥のものとなり、被告の暴行の激化とともに、その家庭生活は極めて険悪な状態に陥つた。そうして被告の原告に対する一方的夫婦関係に対する不満から、原告はこれを他の者によつて満す結果となつたのであり、原告の不貞行為が許されないものであることは勿論であるが、その誘因は被告の態度によるところも大であつたといわねばならぬ。以上を綜合すると、結局右のような状態は両性の合意のみによつて成立し相互の協力により維持されるべき婚姻の理念に全く反するものであつて、これは民法第七七〇条第一項第一号及び第五号に規定する事由に当る場合と解する外はない。この点において離婚を求める原告の請求はこれを正当として認容する。
五、そうして前記認定した事情の許において原被告の養子美那子の親権者を原告と定めるのが相当であると認める。
六、次に、慰藉料の請求につき暴行侮辱等の不法行為によつて、妻たる地位から去るべく余儀なき事態に陥つたものであつて、之により原告が精神的苦痛を蒙つたことは原告本人尋問の結果に徴して極めて明らかである。然らば被告は原告に対し右苦痛を慰藉するに足る金員を賠償する義務があること勿論といわなければならない。
原被告の学歴、経歴、職業、収入が原告主張のとおりであることは当事者間に争がなく、原被告の婚姻期間が約九年であること、本件婚姻が破綻に陥つた経緯、特に被告の暴行侮辱の程度原告の不貞行為その他本件弁論に顕われた諸般の事情を斟酌し、原告の右精神的苦痛に対する慰藉料は金二十万円を以て相当と認める。
よつて原告の慰藉料に関する請求中、原告が被告に対し右慰藉料金二十万円の支払を求める部分は正当として認容すべきであるが、その余は失当であるから棄却する。
訴訟費用につき民事訴訟法第八九条第九二条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 田中宗雄)